お気に入り(?)のモノ達
 仕事をしていたら、突然鉋の刃が欠けてしまいました。それも2ミリ以上、バキッと言う音と共に。木工をやっている人なら思わず「あぁっ」とか、声が出てしまうような、悲しい気分漂う程の大きさです。これは、お気に入りのモノ達と言うより、大事なモノ達と言った方が正しい様な物なのでなおさらです。

 この刃には、写真では分かりにくいですが、刃先の横方向に微妙にアールがついています。少し専門的になりますが、反り台鉋の刃です。そのため、刃渡りの3分の一ぐらい、真ん中に近い部分のみで木を削ります。こんな事になった原因を探ると、過去の裏だしが強すぎて鋼に亀裂が入ってしまったか、製造工程で鋼に何らかの亀裂が入ったのかと言う事かと思われます。そして使って砥ぎ続けているうちに、その場所に達し、集中する力に耐えられずに欠けたのでしょう。仕事を急いでいたので、かなりのスピードで削っていたのも要因かと思います。製造工程のキズは何ら検証する術も無いので、とりあえず自分が悪かったと言うことで直すことにしました。

 これを直すには、木工を始めた頃は半日ほど掛け、ひたすら砥石で直していました。しかし急いでいる最中にそんな時間は無いので、グラインダーを使って焼きが戻らないよう慎重に、かつ急いで直しました。工程はグラインダー、裏だし、裏押し、荒砥ぎ、中砥ぎ、仕上げ砥ぎと、約30分ぐらいで無事に直りました。

 こういう作業をしていると、機械は早くて便利と言う事を痛感させられます。と同時に機械がなかったら、この作業ももっと楽しかっただろうなとも感じます。私たちの仕事は手仕事と言いますが、かなりの部分で機械が使われてるのが現状です。機械メーカーのカタログを見ていると、こんな機械もあるのかと、その多種多様さには驚かされます。これらの中から基本的な物だけ選んで当工房でも使っています。

 機械の導入には、コストを下げるためとか、品質を安定させるため等と様々な理由があると思います。でも、ふと、「これでホントにいいのかな。」との思いが頭をよぎります。機械がなければもっと楽しくできる仕事も多く、舞い上がる木の粉や騒音にも悩まされません。細かい木の粉や塗装の溶剤は、木工に携わる私達の目や耳、肺や肝臓などの器官を長い年月をかけてむしばみます。これらを解消するために、また別の機械が存在します。これでもかと言うほどの、至れり尽くせりの機械の攻勢です。幾ら自分で機械を選ぶことができると言っても、それを見ていると空しさを覚えます。また、機械の扱いに慣れてくると、まるで自分の木工が上手くなったような錯覚を起こしてしまうのも問題です。そしてそんなことは自己実現とは遠く、大きな隔たりがあることに気付くと、ため息の出る思いがします。本当はこんなことを考えている間に、脇目も振らずに突っ走るべきなのでしょうが、今は当分、終わりの見えないこのジレンマとの闘いが続きそうです。そしてまた、人は樹をいい様に利用している分、作り手はやや自虐的ぐらいがちょうど良いのかな、とも思います。




 

 無事に直った鉋の刃(右)と使う度に、砥ぎを繰り返し減った鉋の刃(左)。二つとも同じぐらいの長さでした。左の物ほど減ると、もはや裏金の方が長く、逆目が止まりにくくなってしまいました。まだ鋼はあるので、台を作って別の鉋にするのが手っ取り早いかと思います。(2004.11)

目次へ戻る